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医師の7割が経験する「ペイシェントハラスメント」|応召義務の”整理”は済んでいるのに、なぜ減らないのか

医療・介護

2026.10.09 最新ニュース解説

前回は、薬剤師の「応需義務」とカスハラの関係を取り上げました。同じ構造の問題は、医師・歯科医師の世界にも存在します。「ペイシェントハラスメント(ペイハラ)」と呼ばれるこの問題、実態を見ていきます。


約7割が経験、マニュアルがあるのは2割未満

医療人材サービスを手がける株式会社エムステージが医師461名を対象に行った調査では、約7割が「ペイシェントハラスメントを受けたことがある」と回答しました。別の医師1,000人を対象にした調査(ケアネット)でも、勤務医・開業医ともに7割が経験ありと答えており、特に40代の中堅医師では81%に達しています。

一方で、対応マニュアルが「示されている」と答えた医師は、2割に満たない水準にとどまっています。多くの医療現場で、被害に遭う確率は高いのに、組織として対応する準備はできていない、というギャップが浮かび上がります。


きっかけの多くは「誤解」「思い込み」

ケアネットの調査で興味深いのは、ハラスメントの「きっかけ」を聞いた結果です。最も多かった回答は、患者の誤解・思い込み・意見の相違でした。治療方針への不満や、待ち時間・診察時間への不満などが続きます。

これは、最初から悪意を持ったクレーマーだけが問題なのではなく、コミュニケーションのズレから始まり、徐々にエスカレートしていくケースが多いことを示しています。実際、具体的な行為としては、暴言が最多で、脅迫・過剰なサービスの要求、診療費の不払い、業務妨害・不退去(居座り)、暴力、器物破損、セクハラ・ストーカーと続きます。


応召義務の「整理」は、実は2019年に済んでいた

前回の記事では、薬剤師の「応需義務」について、2026年7月に厚労省が拒否できる基準を通知した、という話を取り上げました。実は医師の「応召義務」については、これよりずっと早く、2019年12月25日の時点で同様の整理が行われています。

厚労省の通知(医政発1225第4号)は、診療を拒んでよい「正当な事由」にあたるかどうかを、主に次の3つの観点から検討するとしました。

  • 緊急性:患者の病状が深刻かどうか
  • 診療時間:診療時間内か、時間外か
  • 患者との信頼関係:診療とは無関係な要求やクレームを繰り返し、信頼関係が築けない状態かどうか

つまり、「診療と関係のない迷惑行為が続き、関係が破綻している」と言える場合は、診療を断っても応召義務違反にはならない、という考え方は、すでに6年以上前から示されていたことになります。

それでもなお、医師の7割がペイシェントハラスメントを経験しているという状況は変わっていません。制度上のルールを整理するだけでは、現場の被害は減らないということを、この数字が物語っています。


現場の対策:埼玉県のある公立病院の場合

具体的な対策に踏み込んだ事例もあります。埼玉県春日部市立医療センターでは、「迷惑行為はお断り!!」というポスターを院内に掲示し、暴言や暴力、器物損壊、不当要求があった場合は警察に通報する方針を明示しています。

同センターでは院内に「トラブル対策委員会」を設置し、ホームページ上でも「大声を出して怒鳴る」「土下座をさせる」「診療の順番を繰り上げるよう強要する」といった行為をした患者は、強制的な退院・退去の対象になり得ることを明記しました。職員向けのマニュアルも整備し、大声を出すなどの迷惑行為があった際には、体格の良い男性職員6人以上が、さすまたを持って駆けつける体制を取っています。

医事課長は「公立病院は患者を診るのが当たり前という風潮で、職員らは我慢してきた」と、対策に踏み切った背景を説明しています。「診るのが当たり前」という応召義務の精神と、職員を守るという必要性を、組織としてのルールで両立させようとした事例だと言えます。


「ひとりで対応しない」という基本と、記録という武器

医療現場向けの解説記事でも繰り返し強調されているのが、「一人で対応せず応援を呼ぶ」という原則です。一人で対応すると「言った言わない」のトラブルになりやすく、エスカレートに気づくのも遅れがちです。

この「言った言わない」の問題は、実は人を増やすだけでは完全には解消しません。応援が駆けつけた頃には、暴言のやり取り自体はもう終わっていることも多いからです。ここで有効になるのが、記憶ではなく記録に残すという発想です。

ICレコーダーで、やり取りそのものを残す

診察室や窓口に小型のICレコーダーを常備し、トラブルの兆候が見えた時点で録音を始める、という運用は、すでに多くの業種で取り入れられています。「言った言わない」が、録音という客観的な記録に置き換われば、院内で事後に経緯を検証する際も、応召義務上の「正当な事由」にあたるかどうかを判断する際も、医師個人の記憶や主観に頼らずに済みます。

ウェアラブルカメラで、”その場”の映像も残す

診察室のような固定された空間だけでなく、院内の廊下や受付など、医師・看護師が動き回る場所でのトラブルには、名札型・クリップ型のウェアラブルカメラも選択肢になります。名札として身につけているだけなので、普段の業務を妨げず、いざという時には映像付きの記録として残せます。「どこで」「誰が」「何をしたか」が映像で残ることは、警察へ通報する際の説明のしやすさにも直結します。

記録は、患者を罰するためではなく、医師を守るための道具

ここで強調しておきたいのは、こうした記録は「患者を疑ってかかるための道具」ではないということです。多くのペイシェントハラスメントは、最初から悪意があるわけではなく、誤解や行き違いから始まります。記録があることで、むしろ「本当に信頼関係が壊れているケース」とそうでないケースを、落ち着いて見分けられるようになります。応召義務という”断りにくさ”を抱えた現場だからこそ、感情ではなく記録にもとづいて判断できる仕組みが、医師自身を守ることにつながります。

これは、前回の薬剤師編の記事でも触れた「判断をひとりで背負わない」という考え方と同じです。録音・記録によって経緯を客観的な形で残すこと、そして異変の兆候を一人の医師・職員だけで抱え込まず組織で共有できる体制を作ることは、応召義務という法律そのものを変えなくても、現場の負担を減らす方向に働きます。


まとめ

医師の応召義務をめぐる「正当な事由」の整理は、2019年という早い段階で済んでいました。それでも被害が高止まりしているという事実は、ルールの明確化と、現場で実際に機能する体制づくりが、別の課題であることを教えてくれます。春日部市立医療センターのように、ポスター・マニュアル・駆けつけ体制といった具体策まで踏み込んだ医療機関は、まだ一部にとどまっているのが実情です。


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