2026.10.08 最新ニュース解説
「応需義務」「応召義務」——聞きなれない言葉だと思います。簡単に言うと、薬剤師や医師には「正当な理由がなければ、患者の求めを断ってはいけない」という法律上のルールがあります。
このルールがあるために、薬剤師や医師は、理不尽な患者に対しても「毅然と断る」という選択肢を取りにくい、という構造的な難しさを抱えています。読売新聞の報道から、この問題を見ていきます。
▶ 元記事:薬剤師「カスハラ」に苦慮、暴言・強要7割が経験…背景に「応需義務」・厚労省は「迷惑行為なら拒否可能」(読売新聞オンライン)
「応需義務」「応召義務」とは何か
薬剤師法には、次のような規定があります。
調剤に従事する薬剤師は、調剤の求めがあった場合には、正当な理由がなければ、これを拒んではならない
これが「応需義務」です。医師や歯科医師にも、原則として診療を拒否できない「応召義務」という、よく似たルールが課されています。
これらはもともと、「医療・調剤という公共性の高いサービスを、誰もが受けられるようにする」ための規定です。患者を守るための仕組みが、現場では「理不尽な要求にも応じざるを得ない」というプレッシャーに転化してしまっている、というのが今回のテーマです。
7割がカスハラ経験。「応需義務があるから断れない」という声
東京都薬剤師会が都内の薬剤師を対象に行ったアンケートでは、回答した約500人のうち69%が、カスハラを受けたことがあると回答しました。
具体的には、医師に説明したはずの症状や服薬歴を薬剤師が改めて確認しようとした際に、質問を無視されたり暴言を返されたりするケースのほか、容姿を非難される、「アイスが溶けるから早くしろ」と騒がれるといった例が報告されています。
薬剤師は、処方箋をもとに機械的に薬を渡すだけの仕事ではなく、患者一人ひとりの状態に合わせて確認・説明を行う対人業務です。それにもかかわらず「薬剤師は医師の補助的な業務をしているだけ」という誤解から、確認作業そのものを迷惑がられるケースもあるといいます。
アンケートには「応需義務があるため、理不尽な要求をする患者にも拒否できない」という声が寄せられました。ルールを守ろうとする真面目さが、かえって自分を追い詰める構造です。
2026年7月、厚労省が「拒否できる基準」を通知
こうした状況を受けて、厚生労働省は2026年7月、応需義務に関する通知を各自治体に発出しました。通知では、調剤と無関係な苦情などの迷惑行為が続き、説得しても改善されない場合などは「患者との信頼関係が失われている」と位置づけ、調剤を拒否できる「正当な理由」に該当するとの考えを示しています。
現場の薬剤師からは、この通知を歓迎する声が上がっています。ある薬剤師は「カスハラを許さない風潮が強まってきた。さらに通知で調剤を断れる理由が明文化されたので、現場の対応はしやすくなる」と話しています。
それでも残る、難しいバランス
一方で、全員が手放しで歓迎しているわけではありません。別の薬剤師からは、こんな声も漏れています。
疾患を抱えた患者を拒めば行き場を失いかねず、判断が難しい場面もあるのでは
これが、この問題の核心だと思います。カスハラへの対応として「断る」という選択肢が明確になった一方で、相手は病気や薬を必要としている患者でもあります。悪質な言動と、治療の必要性は別の話のはずですが、現場では両方が同じ一人の人間の中に同居しています。コンビニや飲食店であれば「入店をお断りする」で済む話が、医療・調剤の現場ではそう単純に割り切れません。
薬剤師法第21条の応需義務は、本来は患者に対する義務ではなく、国に対して負う公法上の義務だとされています。つまり「断ったら患者との関係で違法になる」という話ではなく、薬局としての体制整備・説明責任の話に近いものです。それでも、目の前で怒鳴られている薬剤師が、その法的な整理を即座に思い出して冷静に対応するのは、簡単なことではありません。
ポスターでの周知と、10月の義務化
日本薬剤師会は、迷惑行為を例示したポスターを作製しました。東京都薬剤師会も2026年10月から、「薬局は、あなたのことを知ることで、よりよいサポートができるのです」と記したポスターを各薬局に配布し、確認作業そのものの意義を周知する取り組みを始めています。
ちょうど同じ10月、改正労働施策総合推進法の施行により、薬局を含むすべての事業主にカスハラ防止措置が義務付けられました。「断れる基準の明確化」(厚労省通知)と「事業主としての対策義務」(10月の法改正)が同じタイミングで重なったことで、現場の対応は少しずつ後押しされつつあります。
医師や歯科医師についても、患者やその家族から暴言や理不尽な要求を受ける「ペイシェントハラスメント」が深刻な課題として報じられています。「断れない」という構造を抱える専門職は、薬剤師に限った話ではありません。
「断る・断らない」の判断を、ひとりで背負わせない

ここまで見てきた通り、応需義務の問題は「法律やルールを変えれば解決する」という単純な話ではありません。厚労省の通知があっても、最終的に「この患者への対応は、応需義務上の正当な理由にあたるか」を目の前で判断しなければならないのは、薬局カウンターに立つ薬剤師本人です。ここに、カスハラテックが支援できる余地があると思います。
① 記録を残し、「自分の主観」ではなく「事実」で判断できるようにする
応需義務の拒否が認められるかどうかは、「迷惑行為が続き、説得しても改善されなかった」という経緯が前提になります。ICレコーダーや店舗用の録音・録画機器があれば、その経緯を記憶ではなく記録として残せます。判断の根拠が「言った言わない」ではなく客観的な記録になることで、薬剤師個人の心理的な負担は軽くなります。四日市市役所が窓口に録音機器を導入した際、担当者が「録音するかもしれないと周知すること自体がカスハラの抑止につながる」と説明していたのと同じ発想です。
② 感情解析AIで、エスカレーションの兆候を”ひとりで抱え込む”前に共有する
通話録音やAIによる感情解析のような技術(カイクラなど)を窓口にも応用できれば、声の大きさや言葉の荒さから、やり取りが悪化しつつある兆候を早期に検知し、他の薬剤師や管理者にその場で共有する、という使い方ができます。応需義務上の判断は本来、薬局という組織として行うべきものです。1人の薬剤師が孤立した状態で「断るかどうか」を瞬時に判断させられる状況そのものを減らせれば、負担は大きく変わります。
③ 「見られている・記録されている」という掲示自体が、やり取りを落ち着かせる
実際に機器を導入しなくても、「通話・やり取りを録音する場合があります」という掲示を出すだけで、一定の抑止効果が期待できるという報告は、これまで本サイトで紹介してきた他業界の事例とも共通しています。薬局のように「断りにくい」構造を抱える現場ほど、エスカレーションそのものを未然に防ぐ効果は大きい可能性があります。
これらはいずれも、応需義務という法律上のルールそのものを変えるものではありません。しかし、「断るか、断らないか」という重い判断を、記憶と気合いだけで薬剤師ひとりに背負わせるのではなく、記録と体制で支える方向には持っていけます。制度の整理(厚労省通知)と、現場の技術的な支援(カスハラテック)は、対立するものではなく、組み合わせて考えるべきものだと言えそうです。
まとめ
応需義務・応召義務は、本来は患者を守るための仕組みです。しかしその仕組みが、現場で働く人を守る仕組みと衝突してしまう場面があることが、今回の報道から見えてきます。2026年7月の通知は、この衝突を整理するための一歩ですが、「断ることと、必要な医療を提供すること」のバランスをどう取るかという難しさそのものは、制度が変わっても現場に残り続けます。その重さを、記録・検知・周知といったテクノロジーでどこまで分散できるかが、これからの現場の課題になりそうです。
自分の自治体で使える制度を調べる
カスハラ対策に関する支援制度は、国・都道府県・市区町村がそれぞれ独自に設けており、内容も対象も大きく異なります。
当サイトでは、国・47都道府県・政令指定都市・中核市などの支援制度を一次情報から調査し、データベースとして公開しています。
出典
- 読売新聞オンライン:薬剤師「カスハラ」に苦慮、暴言・強要7割が経験…背景に「応需義務」・厚労省は「迷惑行為なら拒否可能」(2026年10月5日)
- 厚生労働省:医薬発0708第1号「薬剤師の調剤応需義務等について」(令和8年7月8日付)
- 東京都薬剤師会:薬局における患者対応に関するアンケート調査結果


