2026.10.23 公開
不定期連載「本当にあった、笑ってはいけないカスハラ集」第6回は、2020年3月に名古屋市内で実際に起きた事件です。発端は、客が発したたった一言でした。しかも、ほぼ同じ時期に、ほぼ同じ発言をした人がもう一人いました。
事の発端は、「俺コロナなんだけど」のひとこと
2020年3月、感染症対策に社会全体が神経をとがらせていた時期のことです。名古屋市内のドラッグストアに客として訪れた男性が、店員に向かってこう告げました。
「俺コロナなんだけど」「俺、陽性なんだよね」
そう言いながら、わざとらしく咳をしてみせたといいます。怒鳴ったわけでも、何かを要求したわけでもありません。ただの一言と、咳ひとつ。しかし、当時の状況を考えれば、店員がそれを「ただの軽口」として聞き流せるはずもありませんでした。
真に受けるしかなかった店の対応
店は、この一言を無視できませんでした。警察への通報、臨時休業、店内全体の消毒作業、その後の警備体制の強化——男性のひとことによって、店側はこれだけの対応を迫られることになります。
本人いわく、動機は「店員の反応を見たかっただけ」。悪ふざけ、いたずら、そう呼べる程度の軽い気持ちだったようです。けれど、受け取る側にその「軽さ」を判断する手段はありません。コロナという言葉そのものが、当時はそれだけの重みを持っていました。
威力業務妨害罪に問われ、執行猶予付きの有罪へ
男性は威力業務妨害罪で起訴されました。名古屋地方裁判所が言い渡した判決は、懲役1年4月、執行猶予3年。検察側の求刑は懲役1年6月だったので、求刑よりはやや軽い判決です。
量刑を決めるにあたっては、被害店舗への弁償が成立し示談に至っていたこと、本人が罪を認めて反省していたこと、母親が今後の監督を誓約したこと、前科がなかったことなどが考慮されたとされています。店側が実際に負った被害額は、83万円あまりにのぼりました。
同じ名古屋で、ほぼ同時期にもう一件
実はこのドラッグストアの事件のわずか4日後、同じ名古屋市内で、よく似た「俺コロナ」発言がもう一件起きています。
3月29日、家電量販店でスマートフォンの購入・契約手続きをしていた別の男性が、契約に時間がかかることにいら立ち、酒に酔った状態で「俺コロナだよ、コロナだよ」と繰り返し口にしました。店員は警察に通報し、店内を消毒する事態になります。
この男性も威力業務妨害罪に問われ、求刑は同じく懲役1年6月。しかし判決は懲役10月の実刑でした。ドラッグストアの事件とは違い、執行猶予は付きませんでした。
明暗を分けたのは、前科の有無でした。この男性には複数の前科(累犯前科を含む)があり、飲酒時に犯罪に及ぶ傾向があると判断されたことが、実刑になった大きな理由とされています。
ほぼ同じ発言、ほぼ同じ時期、同じ名古屋市内。それでも、片方は執行猶予付き、もう片方は実刑と、結果は対照的でした。
この話の「笑えない」ポイント
この事件の「笑えない」ところは、これまでの事例とは少し毛色が違います。
まず、暴力も、怒声も、理不尽な要求もありません。あったのは、たった一言と、ひとつの咳だけです。それでも店は現実に営業を止め、消毒という手間とコストを払い、威力業務妨害という立派な犯罪が成立し、刑事裁判にまでなりました。大声で怒鳴る「分かりやすい」カスハラより、こうした「静かな」一言のほうが、かえって見過ごされやすいのかもしれません。
次に、「冗談のつもり」という動機の軽さと、結果の重さの落差です。本人としては店員の反応を楽しむ程度の感覚だったとしても、言葉ひとつで店舗の営業が止まり、他の客や従業員の不安をあおった事実は変わりません。悪意の自覚が薄い行為ほど、本人にブレーキがかかりにくいという点は、カスハラ全般に共通する怖さでもあります。
そして、この事件が起きたのは、コロナ禍という特殊な状況下でした。社会全体が過敏になっていた時期だからこそ、ふざけ半分の一言が、これほど大きな代償につながった。状況や時代によって、同じ発言の「重み」が変わりうることを、この事件は示しています。
最後に、ビックカメラの事件との対比です。ほぼ同じ発言、ほぼ同じ時期、同じ名古屋市内で起きたにもかかわらず、一方は執行猶予、もう一方は実刑と結果が分かれました。分かれ目は、発言そのものの悪質さではなく、本人の前科という「発言とは関係のない過去」でした。「同じことを言っても、人によって結果が変わる」という、刑事裁判の生々しい現実が見える一件でもありました。
この連載では、皆さんの「あの話」を募集しています
このコーナーでは、現場で実際にあった「笑ってはいけないカスハラ」エピソードを募集しています。「うちの店でもこんなことがあった」「あの時の対応、今思えば笑えるけど当時は大変だった」——そんな体験談がありましたら、ぜひお問い合わせフォームからお寄せください。いただいた情報は匿名で再構成したうえで、このコーナーでご紹介させていただく場合があります。
出典・参考
- BCN RETAIL:自称「コロナ」男が逮捕、ビックカメラの営業妨害(2020年3月30日)※記事内で紹介されている2件の事件(ドラッグストアの事件・ビックカメラの事件)を取り上げています
- 名古屋地方裁判所:威力業務妨害被告事件 判決(ドラッグストアの事件、2020年8月12日、懲役1年4月・執行猶予3年)※判例データベースの仕様上、リンクが開けない場合があります
- 名古屋地方裁判所刑事第6部:威力業務妨害被告事件 判決(ビックカメラの事件、2020年6月26日、懲役10月の実刑)※同上
※本コーナーは、過去に報道・公開された実際の事例をもとに、要点を再構成して紹介しています。


